18.10.20

Vol.02 世界遺産の国パラオ 使用言語の話

カヤックガイドの南洋通信Vol.02:てか、お前英語しゃべれんの?





どうも!パラ男、AndyことAndoです!チャラ男ではありません(笑)
以前夜の世界でお酒を作っていた事があり、未だに夜の雰囲気を纏っている..
と言われる事がありますが、チャラ男ではないはず!?

そんな事はさておき、前回の「Vol.01パラオへの旅立ち」に引き続き、今回は友人から言われた、てか、おまえ英語しゃべれんの?について書いてみました。


陽気なパラワン。写真大好き。必ずクールなポーズを決めてくれます。

パラオ渡航を決意した僕は確かにそこが最大のネックでした。まさか自分が海外で仕事をするとは思ってもみなかった中学生時代。

ひねくれ者の僕は友人からの印象はやる気の無いAndoとして知れていたように思います。

興味がある事以外はいっさい興味が無いという僕は英語なんて理解不能なジャンル。

てか、俺、海外なんて行かねーし!日本来たら日本語しゃべれや!卍

といった典型的な中二病患者*でした。

以下Wikipediaより引用
*中二病:中二病(ちゅうにびょう)とは、「(日本の教育制度における)中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。「病」という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での病気、または精神疾患とは無関係である。

尚、卍は最近の若者の間では怒りや勢いを表して表記するようです。

という訳で授業をまともに受けた記憶すらございません。先日もツアー中に英語の話になり、「普通科の高校に行っていたのですが、普通科って英語の授業って必須でしたっけ?」と中高英語の授業についてほぼ記憶がありません。

そんな状態でのパラオ渡航、周りからオワタ!、世捨て人、現実逃避、で、いつ帰って来るの?

様々な励ましの言葉を頂いた記憶は今も心の奥に大事にしまっております卍

そんな僕がパラオに来た後、様々な言語の試練に向かい合う事になったのはいうまでもありません。

ただ、当時アパートの隣に住んでいたナイスミドルな韓国人、ピーター氏に色々と英語を教わり何とか生活はできるようになっていきます。

今思えば不思議な生活でした。彼は韓国人なので日本語は話せませんし、僕は日本語しか話せませんでした。電子辞書を片手にアパートのベランダで毎晩BBQをしながら晩酌し徐々にコミニケーションをとった日々はかけがえのない思い出であり、大変ありがたい経験でした。

ピーターはパラオ歴20年ほどでパラオ人の友人も多く、毎晩見知らぬパラオの人たちと飲み食いしていたので、パラオの人たちの文化、風習、言葉の癖、マナー等色々な事を知ることができました。中には面白いマナー等もあり、これについては追って書いてみようと思います。

尚、パラオ人の事を通常パラワンと言います。


さて前置きが長くなりましたが今回はパラオの言語についてです。「ガイドブックには日本語が話せるパラオ人がたくさんいる」等と書かれているものもありますが、現在は流暢な日本語を話せるパラワンはあまり多くありません。

どういう事かというと、ご存知の方も多いかと思いますが、話は日本統治時代に遡ります。日本統治時代、日本はパラオを含め多くの島々を統治下に置き、同化政策を行っていました。

そこでパラワンも日本語教育を受ける事になり、当時の世代は流暢な日本語が使えたという事です。元々パラオにはパラオ語という言語があり、パラワン同士の会話はパラオ語で話します。

しかし、パラワン同士の会話を聞いていると、会話に日本語の単語が混ざっているのを聞きます。単語レベルでは現在借用語として日本語とパラオ語がほぼ同じ意味でパラオ語として浸透しているという事です。

一説によれば800単語以上が元は日本語からきていると言われています。


日本統治時代の街並み。写真はwikipediaより

世代別で考えると曾祖父、曾祖母世代は日本語とパラオ語が使えて、それより下の世代は日本統治時代の終焉後、アメリカ統治時代に英語教育を受けるようになり、パラオ語と英語が話せるようになったという具合です。

ただ曽祖父世代は家庭で子供達に言葉を教える際、あまりにも日本語が流暢であり、同化政策もあって子供達にもパラオ語に日本語を混ぜて教えたといいます。

結果、今の世代はパラオ語、英語、片言の日本語約800語を使えるという事です。現在の若者は元が日本語として知らぬままパラオ語として使っているケースもあり、たかだか80年程前の事でも歴史というのは時が立つと風化していくと感じます。

言語だけではなく、パラオでは様々な日本文化が残っており、日本統治時代については長くなるのでいずれ書いてみようと思います。

少々話が時代を遡りましたが、現代、僕の話へ戻ります。

英語の出来ない僕はその後どうなっていったのか?

実は答えがこの日本統治時代、借用語、日本文化の影響に絡んできます。

確かに日常生活は英語で話すのですが、約800語の借用語があるので、意外と最低限の英語でもなんとかコミニケーションが取れます。

イメージとしては片言の日本語と片言の英語でパラオでは生活レベルではなんとかなってしまいます。もちろんビジネスレベルでは片言の英語では厳しいですが、言語以外でもパラオの人たちは日本人との意思の疎通が取りやすいように思います。

尚、パラオではパラオ人、日本人、韓国人、中国人、アメリカ人、フィリピン人、バングラディッシュ人等、多数の人種が働いています。

他の国の方と話す時、言語は英語です。ただ、個人的には不思議とパラオ人が一番意思の疎通が取りやすいと感じます。

おそらく日本統治時代、様々な日本文化の影響を受けている為、他の国の方より考え方、感情等の理解をしてくれているからではないかと考えています。考え方、価値観が近いという事ではありません。日本人の考え方、感情を理解してくれていると感じます。

という訳で、英語の出来ない僕もなんとか仕事もクビにならず、現在に至っています。気が付けば他の国の方とも英語でコミニケーションが多少は取れるようになり、ツアーに参加頂いても楽しんで頂いていると思います。

なんだかんだ同じ人間、特に遊ぶという事に関してはあまり国籍は関係なく、相手の気持ちを考えれば何とか通じると思う今日この頃です。

ただし、昔の自分にメッセージを1つでも送れるなら、

ちゃんと勉強しとこーね!馬鹿者!卍

と伝えたい気持ちに偽りはありません。

尚、パラオの借用語に興味があれば下記ワンダペディアにもいくつか掲載しています。中々面白いですよ!借用語♪

ワンダペディア

さて次回Vol.03は今回の話にも出てきたパラワンの面白マナー、パラオの面白ルールについて書いてみようと思います!

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